【最終回】北関東シルクロード:野木町をゆく | 結城紬Stories つむぐ vol.06

この記事は、小山高専の歴史専門の長峰氏が小山市地域協力隊の依頼を受け、小山市工業振興課 結城紬振興係のご協力のもと執筆。
『小山市民の半分が「結城紬って◯◯だよね」と話ができるようになる』ことを目標に、結城紬などについての小話を連載しています!

北関東シルクロードに思いを馳せる

「シルクロード」というのは不思議な響きをもつ言葉です。悠久のユーラシア大陸を彷彿とさせ、多くの人々を魅了してきました。私の研究人生にも少なからず影響を与えたと思います。一方で、そのイメージ力の大きさゆえに使い方の難しい言葉でもあり、学問上の論争のキーワードになったこともあります。また、その言葉のイメージは時代とともに変化してきており、世代間でずいぶんと異なるようです。それでもいまなお、「シルクロード」は不思議な力を持ち続けています。

*じつは、シルクロードという言葉自体を当時の人々が使っていたわけではありません。 19 世紀ドイツの地理学者リヒトホーフェンがその著書で用いた(ドイツ語でザイデンシュトラーセン Seidenstraßen、「絹の道」の複数形)のが最初とされます。そこから今日まで、いまや誰しもが知るような言葉になっていくわけですが、これも「シルクロード」は 不思議な力のような気がします。

*やや立ち入った話で恐縮ですが、日本の中央アジア史研究では、東西交渉に焦点をあててきた「シルクロード史観」に対して、現地社会の関心はむしろ南北の遊牧民・定住民関 係にあったとする「脱シルクロード論」が唱えられたことがあります。こうした論争をへて、日本の中央アジア史研究は深化してきました。

*榎本泰子『「敦煌」と日本人』中央公論新社(2021 年)は、日本人のシルクロード(そして敦煌!)イメージの変遷を日中関係の変化から読み解くとても興味深い本です。

ここに1枚のおもしろい地図があります。

「北関東シルクロード」(関東信用金庫協会)。 絹織物をテーマにした国道 50 号沿いのドライブマップで、「富岡製糸場」から伊勢崎・桐生~足利、そしてわれらが「おやま本場結城クラフト館」をへて「結城市伝統工芸館」にいたります。

関東信用金庫協会 しんきん観光マップ https://shinkinmap.com/vol4/trip.html より

ホームページによると、

北関東の国道50号沿いは、昔から絹織物で栄え、その織り方・加工の仕方は、各地域によって異なります。(中略)週末に1カ所ずつ訪れることで、その違いを実感できるものと考えております。 是非、各地域の持つ新たな魅力を再発見していただければと思います。
「北関東シルクロード」(関東信用金庫協会 しんきん観光マップ https://shinkinmap.com/vol4/trip.html より引用)

じつにおもしろい。ぜひ踏破してみたい!

そしていつかこの「つむぐ結城紬 Stories」 で取り上げてみたいと思っていたところ、野木町役場に勤める坂巻裕太さんから耳寄りな情報をいただきました。

野木町役場に勤める坂巻裕太さん

野木町に旧新井家製糸場の跡地があると(以前は「新井家ふるさと記念館」として公開されていましたが、いまは非公開です)。これは行くしかないなと。

前置きが長くなりました。

結城紬をめぐるこのささやかな旅のしめくくりに野木町を訪れ、「北関東シルクロード」に思いを馳せたいと思います。

野木町を巡る!北関東シルクロードに思いを馳せて

坂巻さんとはホフマン館(野木町交流センター)および野木町煉瓦窯(旧下野煉化製造会社煉瓦窯)で待ち合せました。

野木町煉瓦窯

以前に煉瓦窯の内部を見学したときの写真

いつきても煉瓦窯は立派です。「ホフマン式円形輪窯」は各地につくられましたが、現存する 4 基のうち唯一完全な形を保っているのがここになります。製糸業とともに日本の近代化を支えたのですね。そして、ここでつくられた 煉瓦が旧新井家製糸場にも使われていると(後述)。

*下野煉化製造会社は明治 21(1888)年に設立、続いて「ホフマン式円形輪窯」が2基 築造されました。そのうちの東窯が現存しています。かっこいいです。

その後、坂巻さんの案内で旧新井家製糸場の立地や外観を確認しました(現在は非公開)。遠目からも、やはり赤煉瓦の建築物がひときわ目を引きます。

場所は、渡良瀬遊水地側の、ちょっと奥まったところにある印象でしたが、「昔は河川側が中心でしたが、鉄道開通によって町の中心が駅側に移った」という坂巻さんの説明に納得。産業や交通のあり方が町や社会を変えていくことに改めて気づかされます。

*かつて、思川・渡良瀬川水運は非常に重要な交通・物流の要でした。下野煉化製造会社 の立地も、まさにそうした水運と結び付いていました。思川水運は、渡良瀬川との合流地 点である野渡から壬生までをつないでいたそうです。

さらに興味深いことに、明治 8(1875)年、蒸気船の通運丸が就航し、なんと思川の生井河岸と東京間の航路が開通します! この航路はのちに銚子までつながることになります(乗ってみたかった!)。新井家製糸場(そして下野煉化製造会社)のある野木町はまさに交通の要所にあったのですね。山本鉱太郎さんの力作『川蒸気通運丸物語』から、見れば見るほど味わい深い航路図を 2 枚あげておきます。

普段私たちの眼には陸上交通しか見えてきませんが、かつての水運を思い起こすと、また世の中の違う「つながり」が見えてくる気がします。

ここで、『野木町史』を紐解いてみましょう。新井製糸所は、明治 12(1879)年に野渡村の新井元之助が自宅に座繰製糸所を設けたことにはじまります。明治 32(1899)年には 機械製糸の導入に踏み切り、新井製糸場はこのあたりでは随一の製糸場へと成長していきます。新井元之助は下野煉化製造会社の監査役も務めていて、新井製糸場の乾燥室や倉庫にはその赤煉瓦が用いられました。

興味深いのは、新井元之助が機械製糸の導入にあたって群馬県の富岡製糸場を視察していることです。くわえて、この頃新井製糸場以外にも、古河町には 51 か所、野木町にももう1か所の製糸場があったそうです。

こうして見てくると、「北関東シルクロード」というのは言い得て妙な言葉だと思います。そして、この「北関東シルクロード」を紡ぎ合わせているものこそ、結城紬をはじめとした各地の技術や伝統なんだなあと。

その後、坂巻さんのご厚意で渡良瀬遊水地をめぐりました。
われらが思川と渡良瀬川の合流地には「おおー」と思わず声が。

渡良瀬川と思川の合流地点


栃木県民なら(そうでなくても)よく知っているように、このあたりは旧谷中村になります。何度も来ているはずですが、人間と自然、近代化、いろいろなものせめぎ合いや共生の歴史がこの景色を生んでいるんだなと、また改めて感慨深く渡良瀬遊水地を眺めました。

渡良瀬遊水地

さいごに

振り返れば、「思わず語りたくなる結城紬の歴史ネタ」というやや「無茶ぶり」からはじまったこの旅ですが、結城紬にからめて思いがけずいろいろな場所を訪れることになりました。
坂入染色店、絹地区、曽雌さん、保原町、そして野木町・・・関わってくださっ たすべての方々、そして読んでくださったみなさんに心から感謝いたします。いま思うのはじつに単純なことです。「自分の足で地元を知るのはおもしろいなあ」。

このささやかな旅はひとまず終わります。いつかまた再開できるといいなと思いながら。

参考文献
宇山智彦『中央アジアの歴史と現在』東洋書店(2000 年)
榎本泰子『「敦煌」と日本人:シルクロードにたどる戦後の日中関係』中央公論新社 (2021 年)
野木町史編さん委員会(編)『野木町史:歴史編』野木町(1989 年) 森安孝夫『シルクロードと唐帝国』講談社(2007 年)
山本鉱太郎『川蒸気通運丸物語:明治・大正を生き抜いた利根の快速船』崙書房(1980 年)
「北関東シルクロード」(関東信用金庫協会 しんきん観光マップ https://shinkinmap.com/vol4/trip.html
国土交通省 関東地方整備局 利根川上流河川事務所 渡良瀬遊水地エコネット拠点 100 選 https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000764577.pdf
文化庁 文化遺産オンライン https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/184148

Special Thanks :小山市工業振興課、坂入染色店のみなさま、おやま本場結城紬クラフト館、小山市中央図書館、曽雌裕康さんと曽雌家のみなさま、伊達市保原歴史文化資料館と阿部俊夫さん、ホフマン館、野木町郷土館、坂巻裕太さん、今泉亜季子さん、しょうさん、そして横山賢さん!

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3児の母で元SEのブロガー。栃木県小山市を中心に、栃木県のグルメ、観光や遊び・イベント情報を発信する 月間50万PVの地域ブログ「とちぎびより」を運営。Instagramのフォロワー4万人以上。話題のモノや新しいコトやスポット・旅やキャンプが好き。ブログを通して、「きっかけ」を届けるのを目標に活動!