「紬」:紬とは、紬糸で織られた絹織物のこと。通常の絹糸は繭の繊維を引き出して作られるが、生糸を引き出せない品質のくず繭を綿状にして糸を紡ぎだしたものが紬糸。(Wikipediaより引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AC)
*現在の結城紬は上繭(きれいな繭)を使っています。
ときは江戸時代。
幕府は庶民のぜいたくを禁じる倹約令を度々出しますが、町人たちはそうした衣装法度(禁制)をかいくぐって「おしゃれ」を求めました。

そうしたなか、絹織物が禁止されると、町人たちは木綿に見せかけて、じつは絹よりも手間のかかる紬(つむぎ)をさりげなく着ました。

絹の一種である紬には絹ほどの派手さはありませんが、逆にその渋い美しさが人々の心をつかんだようです。かつ、丈夫で実用的です。いまでこそ伝統工芸である紬ですが、当時は庶民の「普段着」だったのですね。そして、結城紬は重要な農家の副業でした。
さらに結城では、貫紬というものをつくりました。貫紬とは、たて糸に木綿をつかい、よこ糸に紬糸を織り込んだものです。
これにはとても興味深い説があります。それによると、絹織物禁止の目をかいくぐるために貫紬をつくって木綿らしさを強調し、しばらくしてからたて糸も紬糸に戻したそうです。つまり、貫紬は法度に対するしたたかな抵抗だったというのです!
じつにおもしろい話です。
ちょっとおもしろすぎるので、もしかすると、この話にはある程度の「後づけ」があるのかもしれません。そうだとしても、こうした語りが生まれた背景には人々の紬に対する思いがあったのだろうと想像します。そこには、幕府の法度に抵抗して「おしゃれ」を求める町人たち、そして大事な副業である結城紬を守ろうとする農民たちの「矜持/プライド」を感じずにはいられません。
「この話好きなんですよね」と言ってこの話を私に教えてくださったのは、小山市役所の紬織士である今泉亜季子さん。

結城紬の振興を仕事とし、実際に紬織士でもある今泉さんには、当時の人々の「矜持」に共鳴するものがあるのだと思います。そして私には、そうした思いが、結城紬に関わる過去と現在の人々を結びつけているように思えるのです。
▽おやま本場結城紬クラフト館で糸つむぎを体験する長峰氏

服装に注目!なんと結城紬を着ています。

とても軽くてしなやかで、さらりとした着心地!なんだかいい気持ちになりましたね。柄にもなく、「週末は和装で過ごすのもいいな」などと夢想してしまうほどでした。
おやま本場結城紬クラフト館では「糸つむぎ体験」や「結城紬の着心地体験(要予約)」も随時開催しています。詳細は、公式ホームページでご確認ください。
参考文献
坂入了ほか『結城紬』泰流社、1982年
- プロローグ:目標は「小山市民の半分が〇〇できること」
- vol.01:伝統を「普段着」る ←いまここ
大好評!連載中








小山市民の半分が「結城紬ってあれだよね」と話ができるようになることを目標に掲げた 『つむぐ〜 結城紬Stories 〜』 。今回は、江戸時代の庶民の暮らしから、興味深い話をお届けします。