小山芳姫とは?悲劇の最期を遂げたお姫様
今から700年以上前の南北朝時代に下野の守護だった小山氏。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて繁栄した小山氏の第11代当主が小山義政でした。
小山義政の正室で、悲劇の最期を遂げたのが小山芳姫。義政に会うために、義政が最後を遂げた粕尾城(現:鹿沼市)に向かっていましたが、案内役のものに芳姫は殺されてしまったといわれています。
江戸時代に、哀れんだ村人が芳姫のお墓を建て供養しました。芳姫のお墓は、寒沢林道の奥にあり、現在は倒木により近づけません。
▽小山芳姫の墓
近年に小山芳姫の墓保存会より「小山芳姫の御堂」が建てられました。小山芳姫の御堂を訪れてきたので紹介します。
小山芳姫の御堂を訪れる
小山芳姫の御堂があるのは、栃木県栃木市の星野町。星野遺跡の近くにある大応寺にあります。
▽大応寺への入り口に案内の看板がありました
▽大応寺の境内。左側に見える建物が大応寺と大きな木が大ヒバ。小山芳姫の御堂は写真の中央の道の右側にあります。
看板がありますが、入り口は見落としやすいので注意が必要です。
御堂は階段の上にあります。
林の中の階段を登っていきます。
階段を登ったところに、小山芳姫の御堂がありました。
御堂は木々に囲まれたひっそりとした場所にありました。
芳姫と次女を手にかけた案内人は、二人の化身の蛇に呪い殺されるという伝説も残っています。
寒沢林道の奥にある小山芳姫のお墓にもいつか参りたいと思いつつ当時を忍び手を合わせてあとにしました。
- 住所:〒328-0201 栃木県栃木市星野町 大応寺
▽MAP
栃木市で歴史散策。悲劇の最期を遂げたことでも知られるお姫様「小山芳姫」の御堂を訪れてきました。